山田の津波碑シリーズ、今回は山田八幡宮入り口にある津波碑です。

鳥居の左側、灯篭の後ろに建立されています。ギリギリ見えます。
鳥居をくぐってから左を向くと全景が見えます。

昭和三陸地震(昭和8年・1933年)の津波記念碑です。
建てられたのは1935年。


伝承内容はほかの津波碑と同じく箇条書き。
津波記念
一 大地震の後には津浪が来る
一 地震があつたらい所へ集まれ
一 津浪に追はれたら何所でも此所
位い所へのぼれ
一 遠くへ逃げては津浪に追付かる
近くのい所を用意して置け
一 縣指定の住宅適地より低い所へ
家を建てるな
石巻市 石井敬三郎刻
石碑裏面。今まで紹介した津波碑とは違い長文です。
頑張って読んでください。

奮勵努力は事業成功の基礎にして和衷協同は集團福祉の源泉なり
顧れは昭和八年三月三日三陸沿岸に襲來せる大津波は轉瞬の間に二千五百の人命を殞し二萬の家屋を流壊し三千六百の船舶を流失せり而して我山田町は死者七人傷者二十六人流潰家屋三百二十餘戸流損舩舶二百七十隻其の他被害擧けて數ふべからず惨亦極れり不肖乏きを本町長に承け在任未た六旬ならざるに此の大惨害に遭ひ災後の復舊復興を畫策遂行せざるべからざるの重任を負ふ微力菲才固より其器に非すと雖も町民と協心戮力し至誠事に従ひ一意成績を擧くるの速ならんことを期せり
此の大變災の雲上に達するや畏くも
天皇陛下 皇后陛下には深く御軫念あらせられ大金侍従を御差遣遊ばされ小職に對し實に有り難き御見舞の御傳旨を賜はり唯々感涙に咽ひたり是れより罹災地を巡視せられ満洲派遣兵の罹災家族に面接御慰問の御言葉を傳へらる また両陛下より御内帑金御下賜あり次いて 皇后陛下より傷病者に對し御賜品あり一同天恩の優渥なるに感泣せり又之れに次いて全國同胞の義捐に係る多量の金品を受く皆其厚意深情に感激せざるなし是に於て我々六千八百の町民は斯の有りがたき御聖旨に奉答し深厚なる同胞の情意に酬いんかため従來町の煩ひを為せる黨同伐異の弊風迹を潜め一致協力復舊復興に勇往邁進せんとするの意氣頓に昂まれるは實に本町將來の發展に資する所以にして慶すべきの事たらずんばあらす仍て茲に東京朝日新聞社より配當の義捐金を以てこの
記念碑を建て災害の概況及善後措置の大略を記し以て後昆に告く
昭和十年三月三日 山田町長七位勲七等石川敏藏撰
新渡戸仙岳書
津波到着年月日と被害状況、天皇、皇后陛下の御見舞いそして義援への感謝が述べられています。
(千)
posted by 山田町観光協会 at 11:07|
Comment(0)
|
石碑