岩手県のリアス式で有名な三陸海岸のど真ん中「山田町」にある
山田町観光協会の公式ブログ(vol.2)です。
山田の観光情報、おすすめスポット、旬の話題、復興状況など
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2013年11月05日

乳神様

今日は、ブナ峠のパーキング付近にある乳神様のお話をさせていただきたいと思います(^_^)/

山田方面から北へ向かうと、自動販売機の手前に見えます。
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裏にまわると、まず目に入るのがこちらの石碑です。
馬頭観音、馬を祀った石碑です。
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そして、国道にちょうど背を向けて立っているのが、乳神様です。
乳神様はその名のとおり、母乳の出が良くなるようにと祀られた神様です。
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中には、乳に見立てたまるい筒のようなものがぶらさがっています。
ここから1つ借りてきて、2つ返すと、願いが叶うとされているそうです。
倍にして返すことで、次の困っている人たちにも幸せを伝えていくことができるというわけですねひらめき
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ここは昔の浜街道で、お参りにくる方もたくさんいたようです。
もしかしたら私たちのご先祖様も、ここにお参りをしに来ていたかもしれませんね(^_^)ぴかぴか(新しい)
(佐)
posted by 山田町観光協会 at 13:57| Comment(0) | 史跡

2013年07月17日

畠山遺跡A

昨日に引き続き畠中遺跡です(^_^)/

遺跡隣のプレハブ小屋の中では、遺跡からの出土品が展示されていました。
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人が多かったので2組に分かれたのですが、それでも満員です。
剥きだしで展示されている出土品の数々…、なんと触れるのです!

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鉄滓(てっさい 鉄を取り出した後の不純物の塊)です。
持ってみると鉄のように重く、なるほど鉄かあ、と感心したのですが、これはいわゆる搾りカスで、鉄はまず残っていないのだそうです(^^;ゞ
戦時中はこの鉄滓からさえ鉄を取り出そうとして結局取れなかった、などという話も聞きました。
残さず搾り取った古代の人凄いですね。

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石鏃(矢の先)や石匙(包丁)など、石器の細工がなかなかに精工です。
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実際に触ってみると、先端がきちんと尖っています。

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縄文土器も素晴らしい造形です

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この小さな顔は人面付き土器、つまり土器の飾りの一部ということになります。
凝っていますね。

土偶です。
土偶ってもっと大きいかと思っていたのですが、実際に見てみると片手で持つタイプのお人形さんのようでした。
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左上の顔がなんだかかわいいです(*^_^*)

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今回私が一番驚いたかもしれないのがこの飾り玉、1cmくらいの玉に模様が入れてありました。どれだけお洒落なんでしょう、縄文の人たち。

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こちらが今回の目玉、縄文後期の捨て場から出てきたヒスイのペンダントですぴかぴか(新しい)ぴかぴか(新しい)

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当然ですが、山田町はヒスイの産地ではありません。
ではどこかというと、日本でヒスイの産地は新潟県の糸魚川(いとかわ)なのだそうです。
糸魚川から大浦までどのような経緯でやって来たのかは分かりませんが、4000年前の流通やヒスイを持つような人がいた事など、このヒスイからさまざまな事が推測されます。

今回の発掘調査は、大浦のそして山田町の歴史の新発見がたくさんありました。
発掘調査には、山田町の他に富山県や千葉県からの調査員の方々が協力してくださいました。
また実際に作業された方など、発掘調査に携わった皆様ありがとうございます。
(和)
posted by 山田町観光協会 at 13:52| Comment(0) | 史跡

2013年07月16日

畠中遺跡@

7月13日、畠中遺跡の発掘調査説明会がありました。
畠中遺跡は船越半島の大浦地区の遺跡です。
年代としては縄文時代後期(約4000前)、縄文時代晩期(約3000年前)、そして古代(1300〜1200年ほど前)の跡が見つかったそうです。
すぐ隣には中世城館の大浦城館があります。
大浦の避難道路を作るにあたり、急きょ発掘調査が行われました。

天気はあいにくの小雨でしたが、たくさんの人が集まりました。
予定より人が多かったため、遺跡と出土品と2手に分かれての見学です。
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まずは発掘調査の順序を説明していただきました。
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ただやみくもに掘るのではなく、荒掘りや実測など、手順を踏まえて掘っていくのだそうです。
白線でなぞっているのが古代の跡、それ以外の穴は縄文晩期で、右奥の方に縄文後期の土器捨て場です。

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こちらは炭窯の跡です。
高温で炭を燃やして焼けた赤黒い土、付近から鉄滓、炉壁、フイゴの羽口も出てきました。
山田では古代に鉄を作っていたのですが、船越半島の大浦でも作っていたと考えられる跡が出てきたのは初めてなのだそうです。

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こちらは建物の柱跡です。
先ほどの炭窯のすぐ隣に、一辺2.1mのほぼ正方形の建物があったと思われます。

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こちらは縄文後期、4000年くらい前の時代の土器捨て場と考えられる場所です。
向こう側に立つと分かるのですが、ここから山田湾が一望できます。

この捨て場から土器や石器、土偶などがたくさん出てきました。
ヒスイのペンダントが出てきたのもここです。
捨て場と言っても、感覚としては私たちのゴミ捨て場ではなく、土に還す、大事にされているような感じなのだそうです。

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探してみると土の断面には土器がちらほらと顔を出していました。

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長くなりましたので1度ここで切ります。

こういった遺跡の、高台でかつ海が一望できる場所の選定に、昔の人たちの知恵を感じ、改めて驚きます。
明日は出土品編(中央にある茶色いプレハブ内)です。(^_^)/
(和)
posted by 山田町観光協会 at 09:51| Comment(4) | 史跡

2013年07月01日

間木戸遺跡の発掘調査

おととい6月29日の午前中、工事のための間木戸遺跡の発掘調査結果の説明会がありました。
間木戸遺跡は古代に鉄作りのムラがあった事が確認されていますが、さらにそれより前、縄文時代にも繰り返し住居を建て直して暮らしていた跡が見つかっています。

間木戸遺跡は三陸道出入り口の奥側にあります。
集合場所は柳沢の山田病院の裏手でした。
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小雨の降る中でしたが、たくさんの人が集まりました。

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まずは間木戸X(5)遺跡に向かいます。
奥に見えるのが間木戸X遺跡、手前にある間木戸U(2)遺跡を左手に見ながら進みます。すぐ近くを沢が流れていました。

間木戸X遺跡からは古代(1250〜1350年程前 奈良時代くらい?)の製鉄炉と、作業のためと思われる家の跡が発見されています。
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この辺りの土からは砂鉄が豊富に採れ、山に囲まれ(木→燃料)、沢もある、製鉄にもってこいの立地だったようです。
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見学中も発掘作業は続けられていました。

続いて間木戸U遺跡です。
古代の住居跡が5棟見つかりました。
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どの家もかまどは北側にあり、また住居跡から矢じりや貝、ウニのとげなども見つかったそうです。)^o^(
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また、同じ場所に縄文中期頃の住居跡が重なって見つかりました。
何度も建て直しては暮らしていたようです。
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かまどの跡です。(十字部分が当時の底面です。調査のためさらに掘られました)
周りと比べると、火を受けた面が高温で熱され赤くなっているのが分かります。

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テントの下では土器や矢じり、貝などの出土品が展示されていました。
貝の種類についてワイワイと話したり、小さなウニのとげなどに、よく分かったなぁ、と皆さん感心していました。

古代のムラは鉄作りのための集落で、縄文のムラは純粋にここが暮らしやすくて住んでいたのではないか、という事でした。
古代の人たちも縄文の人たちの気配を感じながら生活していたのでしょうかね(*^_^*)
(和)
posted by 山田町観光協会 at 11:35| Comment(2) | 史跡

2013年06月28日

古代の山田湾文化

先週6月22日土曜日、山田町の中央公民館で「古代の山田湾文化を知る!」というワークショップが開かれたので行ってきました。

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山田町には古代の遺跡が多く存在し、縄文時代から人々がここで住んでいた痕跡として現在まで残されています。
また、発掘調査によって、奈良・平安時代の沢田U遺跡などでは、鉄を作っていた工房跡が発見されています。

これらの遺跡から当時の状況を探り、また津波や災害の記録と照らし合わせて考えよう、というテーマでした。
千年前の当時の状況や、埼玉県などの地質調査から推測されること、山田の遺跡から推測される事、房の沢遺跡と貞観地震、三陸大津波の石碑の事、博物館での取り組みなど、様々な分野の講師の方がそれぞれお話しました。

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入江田沼は縄文時代あたりの昔はここが入江だったのではないかと推測されているのだそうです。
なるほど、それで「入江」なんでしょうかね?

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縄文時代から人々が暮らしていたこの三陸沿岸は、昔から海の幸が美味しかったのだろうな(*^_^*)、と思いました。
また、この地が度々津波の恐ろしさを味わってきたこともうかがえます。

山田町の遺跡は現在517ですが、入江田沼近くの新道貝塚以外は全て東日本大震災の津波を被らないところに位置しています。その新道貝塚も、住居がつくられていたのは低い所で標高9m、平均が14〜15mということで、浸水しなかったそうです。昔の人たちの知恵に舌を巻きます。

山田町は幸いにも、遺跡が残り、明治時代以降は津波の状況が調査された記録も残っているちょっと珍しい所なのだそうです。

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なぜ古代の事を調べるか?という問いに対しての一つの答えが減災のため、というまとめが印象にのこりました。(たとえば地質調査をして、液状化現象の跡は大きな地震が来た痕跡と考えられるそうです。)
自然の摂理として災害は避けてはくれませんが、最悪の事態を少しでも回避する手立てとして、過去の記録を、文字記録に残されなかった千年、数千年前の土地の記憶を掘り起こすのですね。
(和)
posted by 山田町観光協会 at 09:45| Comment(2) | 史跡