岩手県のリアス式で有名な三陸海岸のど真ん中「山田町」にある
山田町観光協会の公式ブログ(vol.2)です。
山田の観光情報、おすすめスポット、旬の話題、復興状況など
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2015年05月20日

鞭牛和尚の碑探訪(織笠新田)

少し前になりますが、3つ目の鞭牛碑を探しに織笠の新田(しんでん)へ行ってきました。(前回の鞭牛碑)
途中で鳥居を発見したのでちょっと寄り道です人-棒人間+-動く-_m.gif
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牛頭天皇…読めない顔-キモカワ_m.gif調べてみたら「ごずてんのう」と読むようです。寛政十年建立されたもののようです。(山田町史参照)キレイな朱色だったので新しいものかと思ったのですが、だいぶ歴史のあるものなんですね。
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橋を渡り進んで行くと
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小さい鳥居もありました。
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「たぬき八相」なる看板が。四.お腹の出ている…に親近感を抱きつつ、あの笠をかぶった置物があるのかとあたりを探してみましたが、それらしいものは見当たらず、山の中なのでもしかしたら本物のタヌキ様がでるのかもしれませんねるんるん
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寄り道もそこそこに、本来の目的である鞭牛碑を探しに進みます。ここでまさかの分かれ道…悩んだ挙句、シッポの方へ行ってみましたが、ハズレでした顔-ガーン…_m.gif
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気を取り直して、鯨山登山織笠小学校遠足コースを進みます。
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しばらく歩くと大きい石が…ん?
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ありました顔だよ。笑う_m.gif落ち葉で下の方は埋もれていますが、石の下には「牧庵鞭牛」と書かれているのが見えます。
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鞭牛和尚は、織笠新田から鯨山の東麓を通り波板にぬける道を開削しました。こちらは明和二年二月二十八日の「道供養碑」で、大きさは縦横二メートルもある鞭牛碑最大のものになります。茂平の押立石とも呼ばれています。(山田町史参照)
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もともとあった石に刻んだものなのか、ここまで運んできたものなのか…不思議ですねぴかぴか(新しい)
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(福)
posted by 山田町観光協会 at 16:20| Comment(0) | 史跡

2015年04月07日

鞭牛和尚の碑 山ノ内・六角搭

船越山ノ内にあるという牧庵鞭牛(ぼくあんべんぎゅう)和尚の碑を訪ねてとことこ行ってきました歩く_m.gif

地図で「この辺だな」と確認してから向かったものの、平面で見るのと違い高低差のある道路を迷いながら進み、見つけました目

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「鞭牛和尚碑」とあります。

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宝暦10年(1760)、16日に船越村山ノ内集落に「南無阿弥陀仏」碑を建設したと言われています。

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牧庵鞭牛和尚は宝永7年(1710年)に生まれ、その後住職となり岩手県の沿岸100里に及ぶ道を自らゲンノウを手にし、数々の交通の難所を開削したお方です。

宝暦12年(1762)、開削12年の一区切りとして建立されたのが大沢の袴田にある六角搭です。

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現在の六角搭付近

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「とことこ日記」の前身である「かきくけこ通信」でも取り上げられていました。
http://yamada-kankou.seesaa.net/article/182091112.html
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2011年の六角搭付近

それ以前は林の中に埋もれるようにひっそりと建っていて、気づかないで通り過ぎてしまう人も多かったことでしょう。
また付近の海で泳いだりもできたようです。
子どもたちは「六角搭で泳いでくる」と言って家を出たとか。

鞭牛和尚の碑は他にも数か所あるようです。追々紹介したいと思います。

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(千)
posted by 山田町観光協会 at 16:21| Comment(0) | 史跡

2014年10月20日

浜川目沢田T遺跡現地説明会

18日遺跡現地説明会がありました。

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場所は大沢浜川目 航空写真はこちら
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時間前にはたくさんの人が集まっていました。

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浜川目沢田T遺跡は縄文時代の遺跡です。
山田湾が一望できる標高2〜7mの低い場所にあります。

まず北側調査区から

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大小の穴があります。柱を立てた跡で、数が多いことから一か所に何度か建てたことが解るそうです
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「ここが外側になりまーす」
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炉の跡です。複合炉といいます。
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朱色になっているのは燃える火によって変色したため。
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伏甕(ふせがめ)
なぜこのように甕を伏せて埋めるのかは縄文時代の謎だそうです。
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地層をよく見ると色が変わっているのがわかります。
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続いては南側調査区

北側調査区から約1000年経過後の遺跡です。

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こちらはこれから掘り進め、北側のように竪穴住居跡が見つかる予定。
縄文土器がたくさん発掘されています。
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すすぎ口のついたものもあります。こちらからは反対向きなのでわからないですねたらーっ(汗)
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これは土偶の「足」!
もし欠けていなければ30センチほどの大きさになるとか。楽しみですね。
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建物内部では遺物の展示をしていました。

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ずらーと並んだ縄文土器。
出土したものの一部です。
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おそらくヒスイではないかといわれるもの。
ヒスイだとすると大浦に続いて山田では二個目になります。
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土偶
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詳しい内容はこちらをごらんください。
パンフレットはこちら
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18日は二か所の説明会がありましたが都合によりレポートは午後の浜川目沢田T遺跡となりました。
石峠U遺跡については
公益財団法人岩手県文化振興事業団 埋蔵文化財センターのHPを参照ください
http://www.echna.ne.jp/~imaibun/
「ただいま調査中!」の「石峠U遺跡」
http://www.echna.ne.jp/~imaibun/chousa/chousa_312isitouge2.html


(千)
posted by 山田町観光協会 at 17:37| Comment(2) | 史跡

2014年06月09日

焼山遺跡

5月31日焼山遺跡の現地説明会に行ってきました。

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古代〜中世の鉄生産関連遺跡です。

場所は船越第6地割。屯所奥の現在集団移転のため切り崩している場所です。
そこから遺跡が発掘されました。

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空撮画像です。


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参加者は100名以上。

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製鉄炉跡

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製鉄炉跡:鉄のように見えますが「鉄滓(てっさい)」という鉄生産時に出る鉄のカスのようなものだそうです。

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鉄滓は3トンほど出土したそうです。

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丁寧に説明するセンターの方。

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遺物展示場

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戦前と思われるビール瓶。時代を超えてこの場所で人の営みがあったのでしょう。

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石器も出ました。

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小刀

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「羽口(はぐち)」と呼ばれるものです。沢山ありました。

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発掘作業は6月30日までとなっています。

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更に詳しくは公益財団法人岩手県文化振興事業団埋蔵文化財センターのHPをご覧ください。

当日の説明会の資料はこちら。yakeyama.pdf


山田町にはほかにも遺跡があります。
石峠U(いしとうげ2)遺跡、沢田V(さわだ3)遺跡、間木戸T(まぎど1)遺跡、浜川目沢田T(はまかわめさわだ1)遺跡など現在調査中です。

縄文時代の山田の人々の生活に思いをはせる…ロマンですねぴかぴか(新しい)

(千)
posted by 山田町観光協会 at 10:40| Comment(0) | 史跡

2014年05月22日

阿部将翁生誕の地

とことこと豊間根を歩いていたらたどり着いた場所です。

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「阿部将翁生誕の地」と刻まれてます。

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画像クリックで大きな画像を表示できます。

「阿部将翁(あべのしょうおう)」について「山田町史」にも記されています。以下転載

「名前は輝任、幼名を友之進と称し豊間根村に生まれたといわれる。
大阪に向かう途中暴風に遭遇し、中国の港に漂着し、広東を経て杭州に渡り、福建で一八年間滞在中医学と本草学を学んで帰国したといわれる。
八代将軍吉宗に任用され、享保年中幕府に命ぜられ国内を回り、薬草八百五十八種、鉱石五十二種目を発見し、幕府に報告している。享保十三年(1728年)将軍吉宗は、薬植場として三十間堀の地に、九百五十坪を設けて、将翁にこの管理と薬草採製をおこなわせた。
また釜石地区内の磁鉄鉱に日本一の折紙をつけたといわれる。
「山田町史 上巻 人物編」より


なお、「採薬使記」「御薬草御用勤書覚」などの書物を残しており、国立国会図書館デジタルコレクション(http://dl.ndl.go.jp/)で見る事が出来ます本

奥に入ります。

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手入れされた庭木
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手前にまた案内板が

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家屋の横に回り込むと御社がありました。

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兜石と阿部将翁の関係等詳しいことはわかりませんでしたが

歴史のロマンを感じますぴかぴか(新しい)


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(千)
posted by 山田町観光協会 at 17:48| Comment(0) | 史跡