岩手県のリアス式で有名な三陸海岸のど真ん中「山田町」にある
山田町観光協会の公式ブログ(vol.2)です。
山田の観光情報、おすすめスポット、旬の話題、復興状況など
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2015年07月22日

石峠U遺跡

7月11日(土)石峠U遺跡の発掘調査の説明会がありました。場所は、石峠地区の豊間根川に流れ込む荒川川左岸の辺りになります。近くには中世の城館跡である「内館遺跡」があります。
石峠U遺跡は三陸沿岸道路の建設工事に先立って行われている調査で、3年にわたって行われ今月末で調査終了予定とのことでした。3年間の調査で縄文時代の竪穴住居跡が150棟見つかり、約4500〜4000年前の縄文時代中期後半のものが最も多く発見されているそうです。
また、「石峠」というだけあって、石が多く見つかっているそうです。縄文土器がコンテナで約90箱に対して、石器は約350箱。普通はこの逆になるそうです。
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調査をする際、この地層の土の色の違いを見ているそうです。調査員さんの膝当たりの黄色い土は、5500年前に噴火した十和田湖の火山灰だそうです。大規模な噴火があったということを知らなかったので驚きました。
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陥し穴。底に見える並んだ穴は仕掛けの穴だそうです。この遺跡で2つの穴がきれいに残っているのは珍しいようです。
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複式炉
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こちらの竪穴住居跡では、炉を細長い川原石を並べ綺麗に装飾されています。このようになっているのは石峠遺跡ではここだけだそうです。
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ここでは鉄製品が作られていたそうです。山田、宮古、大槌の地盤は花崗岩だそうで、花崗岩が風化して砂鉄がとれて、花崗岩をふるいにかけると粘土もとれるそうです。周りは山なので燃料もあり…ということで鉄をつくる材料がそろっていたそうです。
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この竪穴住居跡からは、四角い穴のところから大きな土器が発見されたそうです。
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石峠U遺跡で発見された遺物です。
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さらに、お墓と骨が見つかっているそうです。状態がよければ復元できるとか。はるか昔のご先祖様がどのような方だったのか、わかるかもしれませんねぴかぴか(新しい)
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(福)
タグ:復興道路
posted by 山田町観光協会 at 17:03| Comment(0) | 史跡

2015年07月03日

間木戸T遺跡

6月20日(土)午後から間木戸T遺跡の現地説明会がありました。説明会の少し前から雨が降り出し、あっという間にどしゃ降りになりました。間木戸遺跡の発掘調査は三陸沿岸自動車道の建設工事に先立って行われています。三年にわたって調査が行われ、縄文時代の竪穴住居跡が200棟以上見つかっているそうです。南側の斜面地にあり、暖かくて住みやすかったのではないかとのことでした。
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発掘現場へ向かうときには雨がやみました。遠くの方には少しだけ町が見えました。(写真ではわかりにくいですねあせあせ(飛び散る汗))大分高いところにあったことがうかがえます。
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4500年前の竪穴住居跡。丸い形をしています。丸い穴は柱の跡で実際に使われていたのは4〜5本だそうです。ここには平安時代の跡もあったりと、ほとんど原型がなく、調査員さんの後ろの方も含めて6軒重なっているそうです。
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こちらは囲炉裏の跡。
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この辺りでは土器がたくさんでているそうです。
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この壁から突き出ているのも土器なのでしょうか?
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フラスコ状土坑。口よりも底の方が広くなっていて、木の実などを貯えていたものだそうです。下にある黒いのは炭の塊のようです。底に何かを敷くことで、湿気を抜いていたのでは?とのことでした。
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出土された遺物はテントの前に展示してありました。どのように使われていたものなのか?考えるとワクワクします顔+嬉しい+キラキラ_m.gif
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こちらの須恵器は、最近のものでは?と疑いたくなるほど丈夫そうなものでした。昔の人の知恵って凄いです。
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今回の調査では、特に目立ったものが見つかったわけではないということから、ここで暮らしていた方々の中には格差がなかったのでは?と考えているそうです。海も山も近く食べ物を取りやすいことから一等地だったのでは?という話もあり、山田のいいところを昔の人も感じながら暮らしていたのかと思うと嬉しくなりますねぴかぴか(新しい)
(福)
タグ:復興道路
posted by 山田町観光協会 at 16:06| Comment(2) | 史跡

2015年06月27日

クク井遺跡

6月20日(土)の午前中「クク井遺跡」発掘調査現地説明会がありました。場所は船越海蔵寺から少し入ったところにあり、南向きの斜面地に立地しています。防災集団移転促進事業に伴い調査を行っているところです。クク井という地区名だからクク井遺跡なそうですが、「クク井」という地区名を初めて知りましたあせあせ(飛び散る汗)
平安時代の鍛冶工房跡と縄文時代前期〜中期の集落跡が見つかっています。
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平安時代の竪穴住居
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カマド
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工房跡の鍛冶炉
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工房跡から出土した羽口
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ここからは鉄の斧や矢じりなどが出土されたことから工房跡の証明になるのではないかとのことでした。
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カマドの隣の大きな穴は食器棚のようなものとのことでした。上に続いているのは煙道(えんどう)という煙突のようなものになるそうです。ここは狭い竪穴住居らしく、鍛冶工房の休憩所みたいなものではないかという説明がありました。
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そして、この上記の平安時代の竪穴住居のすぐ隣には縄文時代前期の竪穴住居がありました。歴史のコラボ!感激です顔だよ。笑う_m.gif
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縄文時代の住居。全長12m、幅5mの竪穴住居跡としては大きいものだそうです。下(写真では右側へ)に行くにつれて壁がなくなっているのは崩れがひどかったのではということでした。
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このUbという断面に川砂のようなものが混じっていることから雨で流れてきたのではということがわかるそうです。
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この「鍛造剥片(たんぞうはくへん)」(鉄を打つ時に出る欠片)や「鉄滓(てっさい)」(鉄のかす)がでたことから平安時代の鍛冶工房であったという証拠になるそうです。
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縄文土器。
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石製のイヤリング。縄文時代のオシャレなんでしょうか。
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同じ日の午後には間木戸遺跡の説明会もありました。次回報告したいと思います(^^)
(福)
posted by 山田町観光協会 at 17:21| Comment(2) | 史跡

2015年06月17日

鞭牛碑 三本小松

こちらでは何度もお伝えしている鞭牛和尚の碑。
先日三本小松にある「道供養」碑を尋ねて行ってきました。

三本小松は境田町と織笠を繋ぐ峠道の名前で、最近は聞く機会が少なくなりました。

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細浦バス停近くの横道から入り、上へと登り左へ草木をかき分けて進むと、ありました。

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明和2年(1765)鞭牛56歳の時のものです(「鞭牛和尚の足跡を訪ねて」より引用)。

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草が生い茂り文字などよく見えないですが、周辺は木々が程よく切られ整備されている感じでした。


(千)
posted by 山田町観光協会 at 16:32| Comment(0) | 史跡

2015年05月20日

鞭牛和尚の碑探訪(織笠新田)

少し前になりますが、3つ目の鞭牛碑を探しに織笠の新田(しんでん)へ行ってきました。(前回の鞭牛碑)
途中で鳥居を発見したのでちょっと寄り道です人-棒人間+-動く-_m.gif
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牛頭天皇…読めない顔-キモカワ_m.gif調べてみたら「ごずてんのう」と読むようです。寛政十年建立されたもののようです。(山田町史参照)キレイな朱色だったので新しいものかと思ったのですが、だいぶ歴史のあるものなんですね。
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橋を渡り進んで行くと
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小さい鳥居もありました。
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「たぬき八相」なる看板が。四.お腹の出ている…に親近感を抱きつつ、あの笠をかぶった置物があるのかとあたりを探してみましたが、それらしいものは見当たらず、山の中なのでもしかしたら本物のタヌキ様がでるのかもしれませんねるんるん
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寄り道もそこそこに、本来の目的である鞭牛碑を探しに進みます。ここでまさかの分かれ道…悩んだ挙句、シッポの方へ行ってみましたが、ハズレでした顔-ガーン…_m.gif
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気を取り直して、鯨山登山織笠小学校遠足コースを進みます。
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しばらく歩くと大きい石が…ん?
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ありました顔だよ。笑う_m.gif落ち葉で下の方は埋もれていますが、石の下には「牧庵鞭牛」と書かれているのが見えます。
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鞭牛和尚は、織笠新田から鯨山の東麓を通り波板にぬける道を開削しました。こちらは明和二年二月二十八日の「道供養碑」で、大きさは縦横二メートルもある鞭牛碑最大のものになります。茂平の押立石とも呼ばれています。(山田町史参照)
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もともとあった石に刻んだものなのか、ここまで運んできたものなのか…不思議ですねぴかぴか(新しい)
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(福)
posted by 山田町観光協会 at 16:20| Comment(0) | 史跡