岩手県のリアス式で有名な三陸海岸のど真ん中「山田町」にある
山田町観光協会の公式ブログ(vol.2)です。
山田の観光情報、おすすめスポット、旬の話題、復興状況など
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2016年03月16日

田の浜 小田の御所跡 その3

二つ目の宝珠印搭を求めて行ってきました田の浜へ。

館(たて)を連呼している当ブログですが、改めて館とは
「東北地方では、周囲に堀や土塁を巡らした防御施設を持つ遺跡」をいいます。
丘陵、山の地形を利用して作られた砦とでもいいますか。

簡単な図にしてみるとこんな感じ(小田の御所跡じゃないですよ)
zu2.png
山を削ったり盛ったりして作ります。

初めて足を踏み入れた時「わ、ここ平地になってて歩きやすい!」と思ったところは人工的に作られた場所だったんですね。

そして宝珠印塔。

先日見つけた宝珠印塔です。
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ひょっとして年号も記してあるのでは!?とひっくり返してたところ
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「…二亥?五月吉日」
上部が欠けていてよくわかりません。

そこから右方向に目を凝らしてみると、ありました。

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一本の木に2基共倒されたようですね。

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字が彫られているであろう部分は見つかりませんでした顔文字、表情、気持ち_m.GIF


小田の御所跡は今回でおしまいです。

次回前須賀にある船越御所跡につづく!

(千)









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2016年03月13日

田の浜 小田の御所跡 その2

2月24日にトライした田の浜の小田の御所跡探索、その2です。

3月9日曇り。
今回はⅯ氏とS氏が同行、心強い!
旧参道入口付近でS氏「館だね」。
(@_@)

「山を削って土をこっち側に流して…」と仰った場所↓
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素人目には何がどうなってるのかわかりません。

館【たて】とは…今更ですが簡単に説明すると
「東北地方では、周囲に堀や土塁を巡らした防御施設を持つ遺跡」。
山田町内に数カ所あります。追々紹介していく予定です。

「ここが切通し。上見たら尾根が繋がってるでしょ」
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昔、人は戦っていました。
このような狭いところにおびき寄せ、上から石など落としていたのでしょう。


磯石と二つの宝珠印塔があるといわれる二の郭で付近へ。

この辺りかなあ〜と捜すと顔を出した石が一個見えるばかり。

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もしや…と落ち葉でフカフカの足元を探ってみましたら出ました。

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石が円を描くように並べてありました。
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写真ではわかりずらいですね。

そして2基あるという宝珠印塔は

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そこから2mほど離れたところにありました。
文字が彫られている石だけが露出しており、辺りを探ったところ全体を見つけることができました。
バラバラになってますね…老木が倒れた時に宝珠印塔も巻き込んだものと思われます。

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「納 御所大明神」

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「糠森屋佐兵衛 神切丸和助 坂本屋徳○(石碑が欠けているため不明)」

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山田町史に記載されていた通り、石と宝珠印塔を見つけることができました。

S氏から館の詳細な説明を聞きつつ帰路についたのでした。


さて、宝珠印塔は二つあったはずです。

「田の浜の小田の御所跡探索その3」につづく!


(千)
posted by 山田町観光協会 at 16:42| Comment(2) | 史跡

2016年02月24日

田の浜 小田の御所跡

山田町には「城館跡」と呼ばれる場所がいくつかあります。

今は木々に覆われ「普通の山」として私たちの目に映っています。
その中の一つ、田の浜の小田の御所跡という場所に石灯籠があると聞き、行ってみました。

荒神社へ向かう旧道に入ります。

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沢に沿って登っていきます。風で飛ばされてきたであろうゴミが…

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御所跡付近を探索。
倒木と藪でなかなか見つからず、諦めかけたその時

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石灯籠ありましたーーー
正確には宝珠印塔です。

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「文化八未年七月十二日」(1811年)

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「小田之御所海上恩」

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上部の相輪が落ちていました。
台座もよく見ると数センチずれています。
数年後倒れてしまわないでしょうか。

後で調べてみましたらこの場所は三の郭らしく、二の郭には磯石と二つの宝珠印塔があるということです。
主郭の中央にも8個の磯石があるらしいのですが、今回見つけられませんでした。
後日再トライしたいと思います。

この御所に移り住んだのは南北朝時代、北畠氏一族であると伝えられています。


(千)

posted by 山田町観光協会 at 14:24| Comment(2) | 史跡

2016年01月19日

伝作鼻の神社

雪の降る数日前、境田町の伝作鼻には神社があると聞いてとことこ行ってきました。
(実際はえっちらこっちら急斜面の昇り降り顔-キモカワ_m.gif

津波で破壊されていると聞きました。頑張って登ってみます。

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自分の背丈より高い笹藪をかき分け進み、
見つけました目

鳥居?

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奉 昭和十二年…

鳥居の真ん中が抜け落ちています。

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離れて全体を撮りたいのですが、笹藪で見えなくなるのでこれが精いっぱい。

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津波と倒木で全体が破壊されていました。


この神社の名前は「岩越神社」といいます。
大浦郷土史研究会によると、山田町史(中巻)に「定置網経営岩越組漁業部は昭和三年(1928)ごろから戦後同二十二年ごろまで山田町を基地とした。千馬ヶ崎(伝作鼻)に岩越神社を昭和十二年創建」とあるそうです。

平成12年の写真ありました。こちら。
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津波前に倒木により中心部が破壊、無事だった狛犬や灯籠は2011年の津波で破壊されてしまいました。

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下からも見ることができました。
伝作鼻付近は工事のため立ち入りできない所もあります。ご注意ください。

(千)


posted by 山田町観光協会 at 15:35| Comment(0) | 史跡

2015年12月04日

川向T遺跡発掘調査現地説明会

11月20日、「川向T遺跡発掘調査現地説明会」が行われました。

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川向T遺跡は今から1300年〜1400年前の遺跡で、狭い尾根の上にあります。
場所は大沢第2地割、「やまだ観光物産館とっと」の近く。

竪穴住居跡1棟、工房跡1棟、住居状遺構1棟、土抗14基が確認されました。

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山田町教育委員会生涯学習課課長挨拶後、一列になって現場まで登ります。

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雨が降った後で、柔らかい土が泥となり足元がつるめるつるめる。
気をつけて上がっていきます。

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上から見下ろすとこんな感じ

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一番高いところにある竪穴住居跡、一辺が6.8mの正方形のようです。
足場が狭く、全体を見下ろせるように写真に撮れませんでした(>_<)
全体図の広いところになります。

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尾根に沿って下の方にあるのが工房跡。
右側が少し削れていて、これは昭和30年ごろ旧大沢中学校(現在の山田消防署)を建設する際に一部が削られたものと思われます。

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子鍛冶炉(こかじろ)、壁溝、柱穴、土抗が見つかっています。

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竪穴式住居跡と工房跡の間にある住居状遺構

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出土した遺物を展示していました。

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鉄鉗(てつはし)

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鉄製馬具の引手と鏡板、刀子

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鍛造剥片と貝殻片

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砥石と鉄滓(てっさい)

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土師器(はじき)、羽口(はぐち)


小鍛冶の作業風景を絵にしたもの

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二人一組になって鉄製品を作っていたと思われます。

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調査終了後は高さ半分程に削られ避難所が建設される予定です。

(千)
posted by 山田町観光協会 at 11:10| Comment(0) | 史跡