岩手県のリアス式で有名な三陸海岸のど真ん中「山田町」にある
山田町観光協会の公式ブログ(vol.2)です。
山田の観光情報、おすすめスポット、旬の話題、復興状況など
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2022年02月18日

お秀全様

大浦にそっと祀られている御堂。お秀全様。

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お秀全様とは昔この地で修業したお坊様のお名前です。

「大浦にミイラがいるって本当?」とある子供たちからきかれました。
ミイラというより「即身仏」なのですが子供たちには同じ印象なのかもしれませんね(科学的には即身仏はミイラなのですが)。

大浦のお秀全様のお坊様は智芳秀全という方で、1736年に大浦村を訪れ大網の岩屋で修業し、元文3年(1738)27日6月12日37歳で入定しました。(入定とは即身仏になる行為や高僧の死をいいます)
詳しい話は「山田町史 上巻」に記してありますので興味を持った方は図書館へ行って調べてみましょう。

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この中に眠っていらっしゃるのでしょうか。



大浦の人々はお秀全様を大切に祀り、年に一度(旧暦6月12日)お堂前でお祈りしています。

しかし2019年の台風でお堂付近が被災。

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2019年の様子

2年たった2021年9月の写真です。
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お堂の後ろ側
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工事中でした。


なお、お秀全様が籠ったとされる大網(おあみ)の岩屋は船越半島の先端付近にあり、1755年には牧庵鞭牛和尚が訪れ石碑を建立しています。

(千)



posted by 山田町観光協会 at 10:50| Comment(0) | 史跡

2021年08月19日

絵入り道標

「絵入り道標」はどこですかと最近また聞かれるようになりました。

織笠にあった、絵入りの道標。
「右大槌」の上には小鎚の絵、「左船越」の上には舟をこぐ人の絵が彫られています。

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「とことこ日記」の前身である「かきくけこ通信」には被災前の姿が紹介されていました。

http://yamada-kankou.seesaa.net/article/179631691.html
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案内板の横の柵の中に石碑があります。


この場所は2011年の東日本大震災で被災、石碑は現在山田町が保管しています。


そして、2021年8月の同じ場所です。

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案内板の存在が「この場所」を教えてくれました。
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(千)






posted by 山田町観光協会 at 16:43| Comment(0) | 史跡

2017年02月21日

大沢の八幡宮

2月の晴れた日、大沢上条の八幡宮に行ってきました。

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周囲の道路や宅地は整備され、所々家屋が建設中の大沢地区。

八幡宮の入口
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鳥居左側にある石碑
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「早池峰神社 巌手山神社 紫波稲荷神社」1876年

人1人が通れるくらいの狭く急な階段をのぼると
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八幡宮本殿です。

「山田町史」によると「宝暦十年(1760)宝教院により勧請、建立された」とあります。
祭日は旧四月十五日です。

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気が付かなかったのですが、回り込んでみたら柱の後ろに鐘がありました。

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本殿に向かって左側にある三重塔。

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狛犬さんは独特なお顔をしていらっしゃいました。

(千)
posted by 山田町観光協会 at 11:02| Comment(0) | 史跡

2017年02月07日

鞭牛碑「橋供養」碑

こちらでは何度か紹介しています牧庵鞭牛和尚さま。
約300年ほど前、閉伊街道などの道づくりに生涯を尽くしたお坊様です。

山田町には鞭牛碑が9つあるといわれています。
船越半島の大網
大沢袴田(2基)
荒川穴乳山洞窟
船越山の内(2基)
織笠新田
三本小松
織笠川端

先日、織笠川端にあるという「橋供養碑」を訪ねていってみました。
震災で倒れたと聞き「もう移動されてないのでは」と思い込んでいたため確認が今頃になったのですが…

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石碑群は1基が無事な状態のままそこにありました。

橋供養碑もありましたexclamation

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明和(1767)四亥四月十日、協力者である善治郎さんの名前が刻まれているといいますが…わかりますか。

この場所は元は織笠河川敷公園として整備されてました。
石碑群はコンクリートの土台の上に建っていたのですが津波の勢いで倒されたり折られたりしたようです。

他の石碑
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金毘羅神社

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金毘羅供養塔

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奉書妙典一字一石一禮

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梵字 湯殿山

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念仏供養塔

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奉納四国西国神社仏閣拝禮塔

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卍 南無阿弥陀仏

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船流供養塔(裏返し)

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早池峰山 巖鷲山 志和稲荷

この石碑群は全部で13基あり、1基が現状、2基が横転、8基が折損、2基が不明となっています。

山田の鞭牛碑、残すところ船越半島の大網(おあみ)だけとなりました。
今年度中に到達できるのか!?こうご期待。

(千)
posted by 山田町観光協会 at 14:39| Comment(0) | 史跡

2016年10月03日

船越上館 古碑を訪ねて

何度かお伝えした船越御所跡。

諏訪神社から西に位置する場所に船越上館(たて)があります。
そこには文字のない古碑がひっそりと佇んでいるといいます。

ということで行ってきました。
船越御所跡を辿る今までは(田の浜御所跡、本城跡)倒木や藪に進路を邪魔されてようやくたどり着いたものでしたが、今回は

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道があり階段があり

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草も刈り取られて整備されていました。

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横から

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後ろから

この古碑には文字がありません。
風化して消えてしまったのかはじめからないのか…。

「山田町史上巻」にはこう書かれています。
「船越上館は国鉄船越駅の南、船越上台の海岸段丘の上にあって、主郭とその下に段階状に二段の郭が作られ、詰の城との間は大きな空堀で作られている。
この空堀後には、大槌方面に向かう旧浜街道が通っていたが、いまは国鉄山田線と、国道45号線が敷詰められ一部が完全に破壊されてしまった。詰の城は、屹立した旧段丘の先端を削って、三重、あるいは四重の帯郭をめぐらし、空堀で切って砦を造り、背後の尾根からの侵入を防いでいる」(宮古地方の中世史「古城物語」より)


誰が何の理由でここに建てたのでしょう。歴史のロマンですね。

船越上館
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国土地理院地図より


(千)
posted by 山田町観光協会 at 15:29| Comment(0) | 史跡