岩手県のリアス式で有名な三陸海岸のど真ん中「山田町」にある
山田町観光協会の公式ブログ(vol.2)です。
山田の観光情報、おすすめスポット、旬の話題、復興状況など
発信してまいりますのでよろしくお願いします!

2022年06月05日

第13回復興がんばっぺし山田フェスティバル 鍬ケ崎元気市in山田

5月29日(日)中央公園で第13回復興がんばっぺし山田フェスティバルと
出張 鍬ケ崎元気市in山田が開催されました。
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参加店舗が30店舗以上でとても大きいイベントでした。
ステージイベントも4団体の参加があり、観に来たお客さん達も
楽しんでいました。

posted by 山田町観光協会 at 13:56| Comment(0) | 日記

2022年05月28日

山田フェスティバル

昨日の雨はどこへ…


今日は晴れましたね〜かわいい

山田フェスティバルのお知らせです!ぴかぴか(新しい)



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是非、足を運んでみてくださいるんるん



(新人改め…福ひ)
posted by 山田町観光協会 at 09:46| Comment(0) | 日記

2022年05月15日

令和4年度企画展「くじら館30年の軌跡 そして未来へ…」のお知らせ

鯨と海の科学館は今年2022年で30年目を迎えます。

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これを記念して、企画展「くじら館30年の軌跡 そして未来へ…」を開催します。

開催期間:令和4年5月29日(日)〜7月10日(日)
会場:鯨館1階特別展示室

鯨館が開館するまでの道のりと30年間の歩みを振り返って展示します。
どうぞご覧ください。

(千)
posted by 山田町観光協会 at 10:05| Comment(0) | 日記

白石集落の「農業体験」のお知らせ

さつま芋を植えたりジャガイモを収穫したりそばを植えたりそばを刈ったりもしかして炭出しもできるかもしれない「白石集落の農業体験」わーい(嬉しい顔)

今年もチラシが出来ました。目
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参加料は大人500円です。
小学生以下のお子さんは無料ですので親子で参加大歓迎。
もちろんお子さんにもこびりは出まするんるん

畑作業ですので、衣類は汚れてもいいもの、軍手、帽子、長靴、タオル、飲み物など用意するといいでしょう。

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昨年のそばの種まきの様子

(千)
posted by 山田町観光協会 at 09:34| Comment(0) | 日記

2022年05月14日

田名部の一里塚

数年前にも紹介したことがある豊間根の田名部(たなぶ)一里塚に先月立ち寄ってみました。

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町の案内板もそのままです。

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内容を書き出してみました。
「田名部一里塚
昭和56年9月1日 山田町指定有形文化財

 一里塚は中世に、北方の王者と称せられた藤原氏が白川より外ヶ浜に至る百里の道程中、一里(四キロ)ごとに笠卒塔婆を建て里程標示を行った事がその発祥と見られている。現存するように土塚を築き全国的に具現化されたのは、慶長八年(1603)で、徳川家康が江戸日本橋を基点とし、翌九年諸道を整備。三十六町(四キロ)ごとに方五間の一里塚と塚上に榎を植えしめた事をもって初見とする。
 南部藩でも、慶長九年以来藩内諸道に一里塚が築造されたが、本町に現存する五カ所の一里塚(石峠・田名部、間木戸、竜泉寺前、萩野)及び大槌町辺地ヶ沢一里塚は徳川三代将軍家光の時代の寛永十八年(1641)より同二十年までの間に、宮古代官小本助兵ェと船越新左衛門両名の道改めにより築造されたものである。宮古と大槌代官所を結ぶ大槌街道は、宮古御水主町を基点としていて、この石峠一里塚はその街道のうちの一つということになる。
 一里塚は直接の里程標示としての役割は勿論であるが、交通安全物資の円滑な輸送及び賃制の確立等果たして来た役割は大きく、近世交通史上貴重な価値を持つ史跡である。その中でも本町のように六里の間欠所なく(二塚一対)存在することは全国的にも稀である。
 平成十年三月三十日    山田町教育委員会  」

案内板にある「…この石峠一里塚は…」は「田名部一里塚」の誤りではないかと思われます。

震災後、三陸道建設により間木戸一里塚は消失し、現存する一里塚は四ヶ所となりました。

今ある国道45号線ができたのは昭和に入ってからです。
それ以前は浜街道(三陸浜街道)と呼ばれる道を人々は移動していました。その道の一里ごとに一里塚が見られたわけです。

当時の人々がどのような気持ちで一里塚を眺め、この道を歩いていたのか、300年前に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


ちなみに数年前の画像はこちら(2015年)
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この年には隣に民家があり人が住んでいました。

現在は見たところだれも住んでいないようでした。


田名部の一里塚は山田町豊間根の下田名部地区にあります。
気を付けて通行しましょう。
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おまけ
田名部に群生している水芭蕉。
ひっそりと咲いていました。
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(千)
posted by 山田町観光協会 at 16:07| Comment(2) | 日記