諏訪神社から西に位置する場所に船越上館(たて)があります。
そこには文字のない古碑がひっそりと佇んでいるといいます。
ということで行ってきました。
船越御所跡を辿る今までは(田の浜御所跡、本城跡)倒木や藪に進路を邪魔されてようやくたどり着いたものでしたが、今回は
道があり階段があり
草も刈り取られて整備されていました。
横から
後ろから
この古碑には文字がありません。
風化して消えてしまったのかはじめからないのか…。
「山田町史上巻」にはこう書かれています。
「船越上館は国鉄船越駅の南、船越上台の海岸段丘の上にあって、主郭とその下に段階状に二段の郭が作られ、詰の城との間は大きな空堀で作られている。
この空堀後には、大槌方面に向かう旧浜街道が通っていたが、いまは国鉄山田線と、国道45号線が敷詰められ一部が完全に破壊されてしまった。詰の城は、屹立した旧段丘の先端を削って、三重、あるいは四重の帯郭をめぐらし、空堀で切って砦を造り、背後の尾根からの侵入を防いでいる」(宮古地方の中世史「古城物語」より)
誰が何の理由でここに建てたのでしょう。歴史のロマンですね。
船越上館
国土地理院地図より
(千)