岩手県のリアス式で有名な三陸海岸のど真ん中「山田町」にある
山田町観光協会の公式ブログ(vol.2)です。
山田の観光情報、おすすめスポット、旬の話題、復興状況など
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2021年09月29日

大浦の防潮堤

9月のある日、船越の大浦地区の海岸道路を歩いてみました。

八龍王石碑がある地点から南下しました。

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2021年現在
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整備前は道路沿いにありました。
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googleマップから


石碑付近から防潮堤に上る階段があります。

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見切れてますが右に石碑があります

階段上って

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北側(山田湾口側)
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南側
旧堤防が見えます。
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ここから左側の道路を南に向います。

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乗り越え道路が見えました。
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乗り越えます
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大浦港に出ました。
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すぐ左からまた乗り越えて山側へ行けます
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また戻って大浦港に出てそのまま進みます
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港をぐるーっと防潮堤が囲んでいます。

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このまま進むと丁字路に出ます。左は小谷鳥方面へ右は山田方面へ。

ご秀全様付近の様子も撮影してきました。後日お伝えします


(千)
posted by 山田町観光協会 at 07:00| Comment(0) | 行ってきました

2021年09月28日

山の内の津波碑

山田町の津波碑シリーズ続きます!


船越の山の内地区の津波碑です。

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国道45号線沿い、バス停南長林からちょっと南、横道に入ってすぐ目に入ります。

石碑群の左端が津波碑です。

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大海嘯記念
一 大地震の後には津波が来る
一 地震があつたら高い所へ集まれ
一 津波に追はれたら何處でも此所
  位のい所へ
一 遠くへ逃げては津波に追付かる
  近くの高い所を用意して置け
一 縣指定の住宅適地より低い所へ
  家を建てるな
      石巻市石井敬三郎刻




裏面は写真に撮ってないですが、資料によると以下の通りです。

昭和八年三月三日午前二時三十分上下ニ動揺スル強
地震アリ續イテ参時頃ヨリ大音響ト共ニ大津浪ノ襲來
アリ波浪ノ高十米三時十分頃最モ被害アリ被害戸数船
越區流失ニ十三戸半漬一戸死者三名田之濱區流失百
八十三戸半漬二戸床上浸水十一戸死者二名大浦區流
失五戸半漬十四戸床上浸水十六戸ナリ
本碑ハ東京朝日新聞社ヘ寄託ノ義損金二十余万圓ヲ
罹災町村ヘ分配シタル残額ヲモツテ建タルモノナリ
 昭和九年五月
  下閉伊郡船越村長 鈴木吉平誌



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石碑群は資料によると写真左から

南無妙法蓮華経(大正十一年1922)
梵字 (右)早池峰山(中央)巖鷲山(左)志和稲荷(弘化四年 1847)
象頭山(嘉永四年 1851)
百万遍供養塔(寛政十一年 1799)
馬頭観世音(嘉永四年 1851)
庚申供養塔(享保十四年 1729)
奉書大乗妙典一石一字供養塔(不明)
梵字 湯殿山(明治十六年 1883年)
梵字 庚申塔(寛政六年 1794)
梵字 (右)早池峰山(中央)巖鷲山(左)志和稲荷(嘉永四年 1851)


210年の間にまとめて移されたのか、最初からここにあったのかはわかりません。

(千)
posted by 山田町観光協会 at 08:00| Comment(0) | 石碑

2021年09月27日

織笠の津波碑

山田の津波碑シリーズ。

今回は織笠の津波碑です。
旧織笠小学校の道路を挟んだ向かい側に建立されています。

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右が明治29年(1896)の「大海嘯記念碑」、左が昭和8年の「大海嘯記念」の石碑。

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大海嘯記念
一 大地震の後には津浪が来る
一 地震があつたらい所へ集まれ
一 津浪のくる前には海水がひける
一 遠くへ逃げては津浪に追付かる
一 近くのい所を用意して置け
一 住宅は津浪浸水線よりい所へ
 石巻市 石井敬三郎刻
 
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昭和八年三月三日午前二時三十分上下ニ動揺スル
強地震アリ續イテ参時頃ヨリ大音響ト共ニ大海嘯ノ
襲來アリ波浪ノ高サ約三米ヨリ五米
織笠村ノ流失戸数一戸半漬十戸浸水六十戸溺
死者六名
此ノ記念碑ハ東京朝日新聞社ヘ寄託ノ義損金二十
餘万圓ヲ罹災町村ヘ分配セシ残額ヲ重テ分配セラ
レ其ノ金員ヲ以テ建設セシモノ也
 昭和九年三月
  下閉伊郡織笠村長 昆商平誌之

当時の村長は昆商平さんで(「誌之」は「之を誌す(これをしす)」)昆商平さんがこれを記したという意味です。

前面には他の津波碑には見られない一文があります。
「一 津浪のくる前には海水がひける」
織笠からは海水が引ける様が特によく見えたということでしょうか。


向かって右側の「大海嘯記念碑」の碑文については、解読したサイトがありましたのでご紹介します。
ひかり拓本データベース
https://takuhon.lab.irides.tohoku.ac.jp/hibun/detail/iwate97/


(千)


posted by 山田町観光協会 at 14:44| Comment(0) | 石碑

お話じゅうたん

昨日は町立図書館(山田ふれあいセンターはぴね」で絵本の読み聞かせがありました本だよ。絵本_m.gif

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久しぶりの開催でした。
やってきた親子さんは一組ですが皆さん大喜びでお迎えしました。

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「これなんだろうね」という問いかけの絵本には元気に答えて、お母さんを探すお話にはじっと耳を傾けていました。
来てくれてありがとう〜

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本だよ。絵本_m.gif来月(10月)の「お話じゅうたん」は17日(日)午前10時30分からです。

また、10月は「漫画week」があります。
10月16日(土)〜24日(日)
通常の貸し出し5冊の他に、漫画限定で、何冊でも借りられます。
*この期間に借りた漫画は延長できません。
本を入れる袋やバックをもってきてね

あんな漫画やこんな漫画、いっぱいあるよぴかぴか(新しい)


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10月のガラス絵が出来上がっていました。ハロウィン〜ハロウィン_m.gif

(千)
posted by 山田町観光協会 at 11:28| Comment(0) | 日記

2021年09月24日

大浦の津波碑と慰霊碑

山田町の津波碑シリーズ

今回は大浦の津波碑です。

大浦漁村センター前に建立されています。

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右が昭和8年三陸大津波の「大海嘯記念」碑です。
(当時の横文字は右から左へ読みます)

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一 大地震の後には津波が来る
一 地震があつたら高い所へ集まれ
一 津波に追はれたら何處でも此所
  位のい所へ
一 遠くへ逃げては津波に追付か畄
  近くの高い所を用意して置け
一 縣指定の住宅適地より低い所へ
  家を建てるな
      石巻市石井敬三郎刻
  
**(9月27日 漢字を修正しました)

昭和8年の大海嘯記念碑に記されている文字はだいたい同じ文面です。
しかしよく見ると漢字で記された部分が他では平仮名だったり微妙な違いがあります。


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昭和八年三月三日午前二時三十分上下ニ動揺スル強地震ア
リ續イテ参時頃ヨリ大音響ト共ニ大津浪ノ襲來アリ波浪ノ
高十米三時十分頃最モ被害アリ被害戸数船越區流失ニ十
三戸半漬一戸死者三名田之濱區流失百八十三戸半漬二戸
床上浸水十一戸死者二名大浦區流失五戸半漬十四戸床上
浸水十六戸ナリ
本碑ハ東京朝日新聞社ヘ寄託ノ義損金二十余万圓ヲ罹災
町村ヘ分配シタル残額ヲモツテ建タモノデス
 昭和九年五月
  下閉伊郡船越村長 鈴木吉平誌

各地区の被害状況が具体的な数字で残されています。
当時の村長は鈴木吉平さんで、「誌」は鈴木さんが記したという意味です。



隣にあるのは2011年東日本大震災の鎮魂碑です。

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鎮魂碑
平成二十三年三月十一日の東日本大震災の
三陸大津浪により山田地方は、瞬時にして
海も里も壊滅的な被害を受けた。
 この大津浪で大浦・小谷鳥地区では、三十三
名の尊い人命が犠牲となった。
 亡くなられた方々の御芳名を碑に記して
御霊の安らかならんことを祈念するとともに
御霊に報いるためにも、大浦漁村づくりの
力強い振興を誓いここに建立する。
 平成二十七年三月十一日
  大浦漁村づくり振興協議会

裏面には、亡くなられた方(大浦地区17名、小谷鳥地区18名)の御芳名が記されています。


大海嘯記念碑の右側の石碑は百万遍供養塔です。

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 文化十四年丑四月吉日
百万辺供羪塔

**(文化十四年は1817年)

百万辺(百万遍・ひゃくまんべん)と聞いて思い出すのが、大浦地区の祭儀に加わった際に「大きな数珠を数人で念仏を唱えながら回した」ことです。
「なんまんだ〜ぶつ」と唱えながら巨大な数珠を左へひたすら回していくのです。
女性のみの参加で、数珠の輪の中にはお念仏の人が二人座り数珠が一周するごとに手元の巾着から小さい石のようなものを広げ(多分数えてる)、百周したら終了。


「コトバンク」には
「B 京都の知恩寺で修する仏事。一〇人の僧が一〇八〇粒の大数珠を繰り回しながら念仏を一〇〇回(あわせて百万遍)唱えて極楽往生を願うもの。後には一般在家にも広まった」
とありますが、これですね。百万遍念仏といわれます。

そして、百万遍供養塔について調べたところ、全国の供養塔の説明には「念仏百万遍読誦を成就した記念に建てられた」とありました。

石碑にはその土地の歴史が刻まれているのですね。


(千)





posted by 山田町観光協会 at 14:35| Comment(0) | 石碑