石峠U遺跡は三陸沿岸道路の建設工事に先立って行われている調査で、3年にわたって行われ今月末で調査終了予定とのことでした。3年間の調査で縄文時代の竪穴住居跡が150棟見つかり、約4500〜4000年前の縄文時代中期後半のものが最も多く発見されているそうです。
また、「石峠」というだけあって、石が多く見つかっているそうです。縄文土器がコンテナで約90箱に対して、石器は約350箱。普通はこの逆になるそうです。


調査をする際、この地層の土の色の違いを見ているそうです。調査員さんの膝当たりの黄色い土は、5500年前に噴火した十和田湖の火山灰だそうです。大規模な噴火があったということを知らなかったので驚きました。

陥し穴。底に見える並んだ穴は仕掛けの穴だそうです。この遺跡で2つの穴がきれいに残っているのは珍しいようです。

複式炉

こちらの竪穴住居跡では、炉を細長い川原石を並べ綺麗に装飾されています。このようになっているのは石峠遺跡ではここだけだそうです。


ここでは鉄製品が作られていたそうです。山田、宮古、大槌の地盤は花崗岩だそうで、花崗岩が風化して砂鉄がとれて、花崗岩をふるいにかけると粘土もとれるそうです。周りは山なので燃料もあり…ということで鉄をつくる材料がそろっていたそうです。

この竪穴住居跡からは、四角い穴のところから大きな土器が発見されたそうです。

石峠U遺跡で発見された遺物です。



さらに、お墓と骨が見つかっているそうです。状態がよければ復元できるとか。はるか昔のご先祖様がどのような方だったのか、わかるかもしれませんね


(福)
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