岩手県のリアス式で有名な三陸海岸のど真ん中「山田町」にある
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2013年06月28日

古代の山田湾文化

先週6月22日土曜日、山田町の中央公民館で「古代の山田湾文化を知る!」というワークショップが開かれたので行ってきました。

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山田町には古代の遺跡が多く存在し、縄文時代から人々がここで住んでいた痕跡として現在まで残されています。
また、発掘調査によって、奈良・平安時代の沢田U遺跡などでは、鉄を作っていた工房跡が発見されています。

これらの遺跡から当時の状況を探り、また津波や災害の記録と照らし合わせて考えよう、というテーマでした。
千年前の当時の状況や、埼玉県などの地質調査から推測されること、山田の遺跡から推測される事、房の沢遺跡と貞観地震、三陸大津波の石碑の事、博物館での取り組みなど、様々な分野の講師の方がそれぞれお話しました。

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入江田沼は縄文時代あたりの昔はここが入江だったのではないかと推測されているのだそうです。
なるほど、それで「入江」なんでしょうかね?

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縄文時代から人々が暮らしていたこの三陸沿岸は、昔から海の幸が美味しかったのだろうな(*^_^*)、と思いました。
また、この地が度々津波の恐ろしさを味わってきたこともうかがえます。

山田町の遺跡は現在517ですが、入江田沼近くの新道貝塚以外は全て東日本大震災の津波を被らないところに位置しています。その新道貝塚も、住居がつくられていたのは低い所で標高9m、平均が14〜15mということで、浸水しなかったそうです。昔の人たちの知恵に舌を巻きます。

山田町は幸いにも、遺跡が残り、明治時代以降は津波の状況が調査された記録も残っているちょっと珍しい所なのだそうです。

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なぜ古代の事を調べるか?という問いに対しての一つの答えが減災のため、というまとめが印象にのこりました。(たとえば地質調査をして、液状化現象の跡は大きな地震が来た痕跡と考えられるそうです。)
自然の摂理として災害は避けてはくれませんが、最悪の事態を少しでも回避する手立てとして、過去の記録を、文字記録に残されなかった千年、数千年前の土地の記憶を掘り起こすのですね。
(和)
posted by 山田町観光協会 at 09:45| Comment(2) | 史跡